ひるかわって、どこ~?

蛭川(ひるかわ)は岐阜県中津川市の西部に位置し、名古屋から中央自動車道で約1時間程の距離にあります。
南方に県立自然公園『恵那峡』、東西北の三方は山々に囲まれた自然豊かな山里です。 ひるかわへのアクセスはこちら

ひるかわの歴史・宗教

ひるかわの歴史

蛭川の起源は、明治時代に遡ります。
江戸時代より苗木藩の領土でしたが、明治維新~廃藩置県を経て、明治22年『蛭川村』が誕生しました。
そして、平成17年2月13日に岐阜県恵那郡北部6町村と長野県山口村と共に中津川市に合併し、現在に至っています。


神国教

『神国教』とは蛭川地区住民の8割が信仰する神道(※注1)の一派で、神国教本部には御神体にちなんだ巨大な石門が鎮座しています。

その起源は明治~大正時代に遡ります。明治初期、全国的に推し進められた廃仏毀釈が、当時の統治藩(苗木藩)により徹底的に行われました。苗木藩は統治領内の信仰宗教をコントロールし、有力な国学者の助力を得ることで藩勢力の回復を図ろうとしたのです。寺院や仏像石碑など仏教色のあるもの全てが破壊され、蛭川地区の仏教は壊滅的な状態となりました。


動乱の時期が過ぎ去り廃藩置県を経て岐阜県となった蛭川村では、纐纈秋三郎氏(当時の蛭川村村長)が村民の心の拠り所となる宗教が無いことを嘆いていました。そんな折、地方自治体を振興すべく内務省より派遣された井口丑二氏と意気投合し、報徳思想(※注2)をベースに神国教を立教しました。

(※注1)神道:山や川などの自然や自然現象、また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。
(※注2)報徳思想:経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く思想。

ひるかわの自然

絶滅危惧Ⅱ類指定植物:ヒトツバタゴ

ヒトツバタゴは5月半ばに満開を迎えるモクセイ科の植物です。その姿は、まるで季節外れの雪が降り積もったかのようで、ふわふわの白い花を咲かせます。
国内では岐阜県東濃地方と長崎県対馬市、また愛知県・長野県の木曽川流域でのみ自生する希少種のひとつです。このヒトツバタゴ交流を通じて、中津川市と対馬市は姉妹都市提携をしています。(※1996年(平成8年)に旧蛭川村と旧上対馬町が姉妹町村提携したのが元。)
国の天然記念物に指定されている『ヒトツバタゴ自生地』は蛭川に点在しており、白い花の咲く里、ひるかわを象徴する存在となっています。

 

長瀞のヒトツバタゴ

蛭川の奈良井区長瀞(ながとろ)に自生しているヒトツバタゴは樹齢100年を超え、高さ約13メートル、枝張り約10メートルという巨木です。毎年5月に開催されるひとつばたご祭りでは、長瀞をはじめ、蛭川内の自生地を巡るひとつばたごウォーキングバスツアーが行われます。

 

ヒトツバタゴ自生地と安弘見(あびろみ)神社等を巡るウォーキングマップ『ヒトツバタゴコース』はこちら

ひるかわの産業

ひるかわの御影石

地盤が固く、古くから石の産業が盛んな蛭川は、国内屈指の埋蔵用を誇ります。
ここで産出される花崗岩(通称:『ひるかわの御影石』)は、建築材や鳥居、墓石、石垣、護岸工事など身近な所で利用されています。また、花崗岩の中から水晶、トパーズ、蛍石など様々な鉱物も見つかっています。

蛭川の至るところに石のオブジェが・・・

  

地歌舞伎が披露される蛭子座(えびすざ)前にて

歌舞伎演者をイメージしたオブジェ 歌舞伎の隈取りをイメージしたオブジェ

バス停も御影石製!


石彫のつどい

石材加工の際、発生する端材(石の切れ端)は、かつて用途のない悩みの種・・・もとい『石』でした。
『石彫のつどい』は、そんな石材を『地場産業と芸術の融合』という形で有効活用すると同時に、芸術振興を図るイベントです。
1991年から開催されているこのイベントは、毎年7月に地元の石材屋と全国のプロ・アマ彫刻家でタッグを組み、2ヶ月かけて作品制作にあたります。そして、地元住民の投票で最優秀賞が選ばれます。

通称オブジェロードと呼ばれる蛭川の基幹道路には、過去の作品とともに『寅さん』でお馴染み男はつらいよ記念碑が展示されています。

 

オブジェ探しと恵那峡の景観を楽しめるウォーキングマップ『紅岩コース』はこちら